「健康寿命延伸都市」を支える松本ヘルスバレー構想
第8章(最終章)
松本ヘルスバレー構想の原動力
そして今後の展開
インタビューに応えていただいた、松本市商工観光部の小林氏と丸山氏
市民の健康文化を醸成し、その上でビジネス化を目指す
我が国においては、健康に関しては無関心な層というのは一定数存在し、諸外国のそれと比較して非常に多いといえるだろう。なぜそうなるかの理由の一つに挙げられるのが国民皆保険制度の存在である。
日本人は保険に守られている。だから重症化したときに病院に行って治療を受ければいいと考えがちな傾向がある。しかし残念ながらそれでは手遅れの場合もある。国民皆保険制度が裏目に出て、国民の健康や命までもが奪われているという現実もあるのだ。
人間にとって重要なのは「治療を受けられること」ではなく「健康であり続けること」だ。健康であれば自分のやりたいことをできて、暮らしの質を落とさなくて済む。そういう原点に立ち返って啓蒙活動を行い、健康に関して無関心な層を減らすことこそが行政の役割である。
そして健康に関しての関心が得られたら、次は選択肢を提供する。この時、ひとつの選択肢だけだと「やる」か「やらない」かの二元論になってしまい、場合によっては「やらない」が半分に至ってしまう可能性もある。だから選択肢は多い方がよい。そのためにも多くの民間企業と協働する必要があるし、それぞれの民間企業からも複数の選択肢が提供されるのが理想である。そうなれば企業間にも競争が発生するかもしれないし、その中で差別化ポイントが生まれてくるかもしれない。これらの動きはすべて市民の健康寿命に還元されていく。
松本市の担当者は言う。もし行政の側に「自分たちは何でもできる」、「自分たちがすべてを賄う」という考えがあるとするならば、それは過信だと。今こそ、行政の中に民間の論理と知見を積極的に取り入れるべき時代である。
市長が行った市政の歴史
改めて考えてみる。松本市はなぜここまでできたのか。繰り返しになるが、その原動力はやはり市長にリーダーシップのあるといえる。
四期目を迎えている菅谷市長が松本市民から支持され続ける理由、それは首尾一貫ブレない人物像にあると思われる。「健康寿命延伸都市・松本」を銘打った当初、漢字10文字も並んだ難しいメッセージはなかなか理解が得られないこともあったようだ。しかし2期目、3期目、そして4期目と約10年間に渡り地道に訴え続け、今は市民間にも浸透し始めた。
構想を牽引する市長のリーダーシップ
菅谷市長はいわばフロントランナーである。自分の前には道はないが、自分の後ろには道ができる。そして地方から国を動かし、世界を動かす。そんなマインドの持ち主だ。
力強いリーダーシップで松本市の行政を牽引する菅谷市長
松本ヘルスバレーのような大胆な構想の推進についても、自身が先頭に立って道を切り拓く。そしてその後ろを職員、そして市民がついて行く。また市長の思考は、松本市という自治体の中だけに収まってはいない。市政の中の構想であっても、それを他の地方自治体や、ひいては国レベルにまで波及することを前提に考えている。また、世界がこれから迎える未曽有の高齢化、その10年、20年前を日本が走っていることを踏まえ、日本は世界のフロントランナーとして立ち振る舞うべきだというグローバル観までをも持ち合わせている。
市長の信念を受け入れ支える市民の意識
しかし、いくら市長にリーダーシップがあって、声高に構想を呼びかけても、これに呼応してくれるのが市民ボランティアだけという状態では意味がない。重要なのは一般市民レベルでの理解と、そして持続可能性である。
市長はあくまでリーダーであり、戦術と戦略でいえば戦略を策定する立場である。つまり政策を決めることが仕事であり、この点についても菅谷市長の姿勢は首尾一貫している(事実、菅谷市長は、市民の近くに足を運び、寄り添い、声を聴きに行くというタイプではないという)。「健康寿命延伸都市」というキーワードは、ある意味非常にアカデミックといえる。市長の打ち出すそのアカデミックな指針は、いかにして市民レベルに浸透していくのか。そこには行政、つまり事務方の配慮が大きく存在するという。彼らは市民と行政の距離を近く保つための努力に日々勤しんでいる。その一因となっているのが公民館事業である。そしてこれは長野県全体の傾向ともいえる。
市長が掲げる指針が市民に受け入れられるもう一つの理由が、長野県民の県民性にあるという。長野県民はお金がかかることも好きだが、お金がかからないことも大好きという両面性を持っている。例えば、食品ロスをなくす「残さず食べよう!30・10(さんまる いちまる)運動」や、「もったいないクッキング」なども浸透している。つまり経済性を重視する性質といえる。松本ヘルスバレー構想は、市民と企業そして行政がすべて経済的なメリットを享受する「三方良し」の図式を描く。だからこそ市民にとっても腹に落ちやすく受け入れやすいのだと考えられる。
更なる先進的な取り組みに向けて
松本ヘルスバレー構想はこれからも成長していくだろう。現に、中学校2年生で行う血液検査において、そのサンプルの中で希望者は1,000円払えば、ピロリ菌の検査も行えるという施策も開始している。そして陽性が出たら胃がんの予防のための検査へ移行する。また、肺がんの予防接種の啓蒙活動も開始しており、今後も先進的なこと取り組みに開始を積極的に関与していく方針だ。この風潮は松本市役所全体に通じるものでもある。松本市にはこども部という部署がある。幼児と就学児童に対する支援事業は、この部署を通じて実施している。これもまた、全国でも珍しい事例である。いずれも、市長の専門性を背景としたリーダーシップと、それに呼応する市役所職員の動きの速さが発揮されている。
今後、松本発の構想が更なる発展を遂げひとつでも多くの企業とのコラボレーションが生まれること、そしてこの考え方が全国にも波及することに大いに期待したい。
松本市商工観光部の小林氏と丸山氏(松本ヘルス・ラボ・オフィス前にて)
シニアライフ総研®では、介護予防や在宅ケア、地域包括システム、地域企業や組織との連携など、地方自治体ならではの高齢社会問題・課題への取り組みについて、独自取材をしております。