「健康寿命延伸都市」を支える松本ヘルスバレー構想

第3章

徹底解剖!松本市が仕掛ける事業基盤
「松本ヘルス・ラボ」の全貌

インタビューに応えていただいた、松本市商工観光部の小林氏と丸山氏


インタビューに応えていただいた、松本市商工観光部の小林氏と丸山氏


民間と共創するための仕組み「松本ヘルス・ラボ」

市民会員によって構成される松本ヘルス・ラボは、行政にとってはサービスの提供対象でもありつつ、マーケティングリサーチを行うための母集団でもある。行政と民間がビジネスを共創するための重要なステージでもある松本ヘルス・ラボは、松本ヘルスバレー構想を支える支柱であり、松本ヘルス・ラボの存在をなくしてヘルスバレー構想は語れないと言ってもいいだろう。

松本ヘルス・ラボの現在の会員数は約1,000名で(2018年10月時点)、会員は年間3,000円の年会費を支払うのだが、この会員組織に対して企業が寄せる期待は大きい。では松本ヘルス・ラボが市民に、そして企業にどのような「場」を提供しているのか。

まず一つ目に挙げられるのが、企業向け、特にヘルスケア産業向けに提供される「市民参加型の産業創出の場」である。ヘルスケア産業というは、他の産業以上に商品企画から販売に至るまで、よりエンドユーザに近い視点に立ったマーケティング活動が求められる。仮に企業が、持てる技術を集結して良い商品やサービスを独自の視点で作っても、これは必ずしも売れるとは限らない。

良い商品というのは必要とされる商品であり、売れる商品である。売れる商品を開発するためには、リサーチやモニタリング、そしてワークショップなどの場が不可欠だが、その場を提供するのが松本ヘルス・ラボである。また、直接的にヘルスケアに関わっていない企業でも、場所や機器を提供することによってサービスを提供することが可能で、ここに市民と企業ブランドのタッチポイントが生まれる。

そして二つ目が、「市民向けの健康づくりの機会提供の場」である。前述したように、企業が提供するヘルスケアに関する商品やサービスが、松本ヘルス・ラボを通じてモニタリングという形で市民に還元されることは、市民の立場から見れば健康づくりや予防医療を実現するための会員向けサービスとして位置づけられる。

松本市中心部にある松本ヘルス・ラボ・オフィス

松本市中心部にある松本ヘルス・ラボ・オフィス


任意団体から一般財団法人へ、その背景にあるのは

2014年12月に市民の健康増進と新たなヘルスケアビジネスの実証の場としてスタートした松本ヘルス・ラボであるが、当初は任意団体であった。しかし、実証実験やモニタリングを通じて民間企業の活発に連携するためには、活動の中で個人データの授受という場面が不可避である。個人データの授受にはリスクが伴うため、企業との契約の際に責任の所在を明確に必要があった。

そこで、社会的な信頼性、独立性の担保、責任範囲の明確化のため、一般財団法人という形を選択した。更には、市からの予算の拠出を得る財団としてその運営方針を明確化し、議会にも透明性を持って報告を行った。つまりあらゆる視点で「安心できる団体」としての運営を目指したのだ。

行政がビジネスを行うために財団法人を作ること自体が画期的であるが、ではなぜ一般財団法人という道を選んだのだろうか。例えば社団法人の場合は、「会費を払う会員(市民)=社団の会員」という図式が成り立ってしまい。あらゆる活動の推進において会員の総意を得る必要が出てしまう。これではスピーディかつ円滑な団体運営に支障をきたしかねない。

また、NPO法人の場合も出資法人であるため、これと同様の問題が発生する。そうなってくると、設立者の意図を活動に反映しやすく、会員の義務の遂行を促しながら運営できるのは財団法人ということになる。

財団法人には一般財団法人と公益財団法人という二つの形が存在する。市民のための健康づくりだけを目指すだけで存在であれば公益財団法人でもいいが、松本ヘルス・ラボの場合、あくまで企業とビジネスを行い事業性や収益を追求する組織を目指したかった。そこであえて一般財団法人を選択したという背景があったことも付記しておく。

実は、松本ヘルス・ラボは企業からの出資(財産拠出)を募っていない。その理由は、一業種一社のルールを作らないためだ。例えば一企業からの出資を得ると、出資企業と同業の他社が参画し辛くなり結果として排除することに繋がってしまいがちだ。このような状況を避け、団体としての中立性を維持するために、出資は松本市からのみ得ている(松本市からの拠出財産 : 3,000万円)。また、理事は医師会や商議所、大学など公的団体から選定しており、組織の中で民間企業が参画しているのは、評議員を務める地元金融機関だけとなっている。


倫理委員会の機能から見る、松本ヘルス・ラボの優位性

次に、倫理委員会の機能についても触れておく。事業を行うにあたっては、協働する企業や大学側にも自身の倫理委員会を有すことは多く、当然そこでも審議がなされるのだが、松本ヘルス・ラボ自身の倫理委員会においても活発な審議が行われる。なぜならば、企業や大学、そして松本ヘルス・ラボが有す倫理観には違いがあるからだ。

松本ヘルス・ラボは、自身が持つ独自の使命として、

  • 会員の健康増進への寄与
  • 社会的意義の有無
  • 個人情報の保護、安全性の担保

の三つを掲げている。

商品やサービスの安全性だけが重要なわけではなく、それが市民健康の役に立つものなのか。そして、参加してくれる会員の社会貢献度を満たすものなのかどうか。倫理委員会はこの視点を持ってしっかりと審議を行う。このプロセスは、事業の問題点を抽出するのみならず、事業を成功裏に導くためにも重要な意味を持つ。それは、事業に参画する市民モニタへの理解促進にある。

松本ヘルス・ラボのモニタ参加希望者は、大前提としてボランティアである。一般の調査事業に参加するモニタ層がインセンティブをモチベーションにするのに対し、松本ヘルス・ラボ会員のモニタは、自身の健康と社会貢献の両立をモチベーションとして参加する層である。従ってモニタ募集時においては、モニタリングの実施内容のみならず、事業が持つ社会貢献度についても詳細な説明してから参加を促している。

例えばサプリメントの効能を測定するための実証実験があったとしよう。モニタに配布されるサプリメントには、効能成分が入っているものと入っていないものが用意される。そしてモニタリング参加者自身、そのどちらが自分に配布されるかわからない。

もちろん参加者は、自分の健康に寄与するという期待があるから参加するだが、実証実験という特性上、自分に与えられるものにその成分が入っていない場合もある。このような事情についても、実験の全体像と社会的意義を説明し理解を得た上で参加を促す。(ただし、効能成分が入ってなかった側の被験者には、実験終了後に成分が入ったものを提供するなどのアフターフォローは行う)

松本ヘルス・ラボのモニタ事業は一般的なモニタ調査より完遂率が高いという。それはモニタ側の実証事業に対する理解度の高さに起因しているのであろう。この点においても、倫理委員会が果たしている役割は大きいといえる。


収支から見る松本ヘルス・ラボの構造

企業受託事業の全体経費は、事業経費、松本ヘルス・ラボの管理費、そして企業のCSR経費の三つの要素で構成される。CSR経費というのは、会員向けの健康増進活動に充当される分であり、つまり松本ヘルス・ラボを活用すること自体がCSRのイメージアップに繋がるという図式を示す。

また、事業経費については、例えば年に2回実施される会員向けの血液検査や体力測定に必要なコストなどがこれにあたる。血液検査は1回で2,700円のコストがかかる。これを2回行うので、一人当たり5,400円 / 年が必要だが、会員の年会費3,000円であることを考えると、年会費だけでは賄えていないことになる。不足分は松本市の負担金となるが(2018年は約2,500万円)、これは市としては「行政コスト」ではなく「健康」に対する公共投資と捉えている。

松本ヘルス・ラボのビジネスモデル

血液検査や体力測定は、市民に自身の健康状況を認識し気づきができることをきっかけとして、一人でも多くの市民が運動習慣を有し、結果としていわゆる介護費や医療費など、市としてより負担の重い部分の削減に繋がれば、結果として大きなメリットになる。

また、血液検査や健康診断は、モニタ予備群であるラボ会員全体のデータの蓄積という重要な意味も持つ。


松本ヘルス・ラボ会員のデモグラフィ

健康の指標としてまず思い当たるものと言えば、血液検査から得られるデータが思い浮かぶだろう。
確かに血液検査データは重要であるが、特に健康寿命という視点で考えた場合、血液検査データと双璧に重要視されるのが体力測定によって得られるデータである。

特に握力は筋肉量を見る大事な目安となるし、その他、持久力も注目される値である。これらのデータを蓄積し、会員の経年経過をわかりやすくすることが、健康の見える化に繋がる。

またこのデータを蓄積することで、企業から実証実験の要請があった場合、モニタ候補者をスクリーニングすることに役立てられる。

例えば、血圧の抑制効果のある食品開発の効能を見たい場合、そもそも血圧の低い人をモニタにしても意味がない。このデータがあることによって、血圧に不安を抱える会員だけをスクリーニングしてモニタ候補とすることができる。もちろん、血圧の不安は本人にとっては喜ばしいことではないが、企業にとっては大事なターゲットいうことになる。

現在の会員構成としては、全体の7割が50歳以上で占められ、健康状態でおいてはヘモグロビンA1cと血糖値のいずれもが基準範囲に収まっている人は50%程度に留まる。つまり、ほとんどの会員がなんらかの形で健康不安を抱えているわけだが、言い換えればだからこそ3,000円を払って組織に参加しているともいえる。

一方で、企業からはこのような会員属性に注目が集まりモニタとして期待されている。ただし、今後ビジネスチャンスを拡大するためには、広く現役世代も積極的に取り入れることが必要となる。これは松本ヘルス・ラボの課題のひとつである。


健康プログラムの開催状況と事業の実績

松本ヘルス・ラボでは、年に2回の血液検査と体力測定の他に、月に2回ペースでラジオ体操や料理教室など、健康に寄与する生活習慣や運動習慣を継続してもらうためのプログラムを提供している。これを含めて会員が支払う会費(年額)は3,000円である。

2017年度の全体参加者は、のべ1,769人であった。更には、イオンと提携し、イオンモール内のウォーキングを行っている、この取り組みについては具体的に後述する。

また、2017年度の事業実績の内訳としては、アイデア創出(1件)とテストフィールドの提供(5件)そしてその他(1件=イオンモールウォーキング)である。

実証・モニタ調査事業の実施に係る相関について

ここで事業が実施される場合のステップとお金の流れについて触れておこう。まず、事業に大学が参画する場合は、企業は2件の契約を締結することになる。

1件目は、大学との共同研究についての契約締結であり、企業はお金を払い、大学は成果や論文で企業に返す。2件目は、松本ヘルス・ラボとの契約締結である。これはモニタリングなどの事業の実施契約にあたるが、松本ヘルス・ラボはCSR活動としての成果報告を企業に返す。一方、ラボ会員については、松本ヘルス・ラボに対しては記名のデータを提供し、これが大学や企業にわたる場合は匿名化される。

また、本人に戻るべきデータは、匿名データに対し記名を行って返却する。企業・大学としては個人情報保護の観点に基づき個人データは保有を望まない。従ってこのような図式になり、その仲介と調整を行うのが松本ヘルス・ラボということになる。

実証モニター調査事業の実施に係る相関

オフィスを活用した「相談・健康の見える化」

会員には、保健師に気軽に健康相談ができる場所(松本ヘルス・ラボオフィス)を、中心市街地に提供している。

松本ヘルス・ラボ・オフィス 保健師による健康相談

オフィス内は地場産のカラマツ材がふんだんに使用されており、市民にとっては気軽に立ち寄れりやすい空間となっている。

松本ヘルス・ラボのオフィスの様子

落ち着きと親しみやすさが感じられる松本ヘルス・ラボ・オフィス

そんなオフィス内の目玉といえば、「体組成計」の存在である。昨今は一般的な量販店でも体組成計は販売されているが、同機はそれとは一線を画す専門的で精密な機器である。

松本ヘルス・ラボ・オフィス 体組成計で骨密度の計測が可能

松本ヘルス・ラボでは、会員の健康維持のための一環として、骨密度の計測に力を入れている。特に、女性にとって骨密度は重要な健康指標として位置づけられるのだが、骨密度を実際に測定したことのある人は限られている。会員はこの検査を松本ヘルス・ラボのオフィスで無償で受けられる。

機器の導入にあたっては、事前に医師会にも相談を行った。そして同機器が有資格者のみが操作可能であることを踏まえ、オフィス内に保健師を配置して健康相談と併せてサービスを提供している。

また、同機器は持ち出しが可能であるため、協力依頼があれば各種イベントでも利用されているという。高価な機器ではあるが市民に近い位置に配置したことにより、高い回転率と費用対効果を維持しているようだ。

この活動は「まさに具体的な予防活動」と言えるものだ。事実、医師会からも大きな評価を得ているという。市民にとっては、検査の結果がよかった場合は安心を得ることができる一方、良くなければ注意が必要だと気付くことができる。また危険域にあれば受診に関する相談をする。

病気が重篤化してから病院に行くのではなく、前段階で検査を受ける習慣を市民に持ってもらう。そうすればひいては医療保険費の抑制に繋がる。松本ヘルス・ラボのオフィスはそのための拠点として機能している。

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