第2回 教育と臨床の課題から考える管理栄養士のあり方

日本のNSTは2000年以降急速に導入が進みましたが、どの医療機関においても管理栄養士の権限がアメリカと比べて限定的です。また、管理栄養士の臨床栄養のレベルは欧米に後れを取っており、急性期患者への対応に課題があります。対策としては教育改革が必要です。


現在の日本におけるNSTの現状

日本でも2000年以降、多くの病院でNSTが導入されるようになりました。公式発表ではありませんが、国内にある約9000の医療機関のうち、おそらく約半数でNSTが行われているといわれています。ただ、日本のNSTは助言のみで完結してしまっており、最終決定をするのは主治医の先生です。アメリカの場合はNSTのリコメンデーションが絶対的な権力を持っていて、主治医たりとも簡単には拒否できないほどの信頼関係が構築されていました。その辺はまだ日本もアメリカに学ばなければいけないところがあるのではと思います。


例えば日本で、糖尿病の患者さんにエネルギー制限するとなったとき、お医者さんが1日1400kcalと設定したとします。そこで管理栄養士が栄養学的な診断をして「先生、この患者さんは栄養状態が悪いから1600kcalのほうがいいですよ。1600kcalに上げても血糖値はそれほど高くならないから、糖尿病の悪化はありません」という助言をした場合、アメリカのお医者さんならば「なるほど、そうですね」となるところ、日本では「うん、けれどやはり1400kcalで……」となるといった具合です。


日本も医師や看護師、理学療法士、薬剤師、そして管理栄養士などスペシャリストが集まってひとりの患者さんを見ていきましょうという多職種協働を推進しているのに、なぜそうなってしまうのか。実は医療法に「医師の指示のもとに」という言葉が入っているのがネックになっているのです。それではいくらわれわれが「患者さんに食事の指導をします」と言ったところで、医師の指示がない限りかないません。これが医療法の縛りです。


医師が360度全方向への権限を持っていますから、医師が一言でも「いや、それは違うよ」と言えば、私たちはそれ以上踏み込めないのが法律的な問題としてあります。政府は医師の働き方改革でタスクシフトと言っていますが、本当にチーム医療をやりたいのならば、まずは医療法からそういった文言を消さないと。そうでなければ真の意味でのチーム医療は完成できないと思っています。

管理栄養士の仕事とは

日本には管理栄養士と栄養士という2種類の資格があります。その違いをご存じでしょうか。資格取得の方法、そして誰に対して栄養管理を行うことができるか、その2点が管理栄養士と栄養士の違いです。

資格取得の方法ですが、栄養士は都道府県知事の免許を受けた資格で、栄養士の養成施設を卒業すると資格が与えられます。管理栄養士は厚生労働大臣の免許を受けた国家資格で、栄養士の資格を取得していることと国家試験に合格することが資格取得の条件となります。

そして栄養士がおもに健康な人を対象に栄養指導などを行うのに対し、管理栄養士は傷病者や食事が取りづらくなっている高齢者など、一人ひとりに合わせて専門的な知識と技術を持って栄養指導や給食管理、栄養管理を行います。病院でNSTのメンバーとして携われるのも管理栄養士のみ、さらに一定規模以上の大きな集団給食施設には管理栄養士を置くことが法律によって義務づけられています。

栄養士の仕事は管理栄養士もできるため、政府でも「栄養士免許はいらないのでは」という検討がされているようです。診療報酬の算定対象になる栄養指導ができるのは管理栄養士だけなので、病院は栄養士の雇用には消極的という実情もあるため、私自身も一本化していいのではという考えです。


管理栄養士に求められる資質、これは何といってもコミュニケーション能力が高いことです。管理栄養士が働くフィールドはとても広く、医療機関や高齢者のための施設だけなく、食品会社、自衛隊の駐屯地・基地や刑務所でもニーズがありますし、最近はプロ野球などスポーツの世界でも管理栄養士が求められています。

どんな場所で働くにしても共通しているのは、必ず対象者がいるということ。それが患者さんでもアスリートでも、誰であれコミュニケーションを図ることができなければ、どれほど専門的な知識や技術があってもそれを対象者に最高の形で提供することはできないでしょう。コミュニケーション能力は不可欠な資質です。

世界における日本の管理栄養士の地位とレベル

医師と看護師の資格がない国はないと聞いたことがありますが、管理栄養士のライセンスがある国は、世界の国の約6割だそうです。アジアだけ見ても、カンボジアやネパールにはありません。また、他国のライセンスでも国内で栄養士として働くことが認められる国とそうでない国があります。たとえば私が留学、就業したアメリカは、日本の資格では管理栄養士としての仕事はできず、新たにアメリカのライセンスを取得する必要がありました。日本も同様で、日本で管理栄養士として就労する場合、日本の管理栄養士の資格以外は認めていません。

一方、シンガポールには管理栄養士の養成校が1校もないため、シンガポール人が資格を取るためにはイギリスやオーストラリア、ニュージーランドに留学して資格を取得します。帰国後それをシンガポール政府に提出するとシンガポールの栄養士の免許が発行されるという具合に、外国で取得した栄養士のライセンスが通用します。



管理栄養士のレベルも国によってかなり差があります。当然、日本の管理栄養士のレベルが気になるところでしょう。

日本で医療に関わっている管理栄養士の仕事を大きくわけると、食事提供というフードサービスと患者さんの治療に当たる臨床栄養の2つになります。そのうちフードサービスに関しては、日本の管理栄養士のレベルは世界トップです。旬の食材を使ったり、季節に合わせた献立を考えたりと、四季のある日本ならではの献立のクオリティの高さには定評があります。「旬を味わう」という日本の食生活に慣れている日本人にとって当たり前のことは、実はまったく当たり前のことではないのです。日本の病院給食はおいしくないという意見もありますが、トータルで考えればレベルは世界トップといえる高さです。

衛生管理もよく行き届いています。国によっては患者さんではなく栄養士に対して「食品に触れる前に手を洗いましょう」から指導しなければいけないところもあります。

ただ、もうひとつの仕事である臨床栄養には、研鑽を積まなければいけないことがたくさんあります。まず、アジアと欧米の臨床栄養には比較にならないほど差があります。さらにアジアでは韓国、台湾がトップで、日本はそれに次ぐ第2集団あたりにいる状態です。フードサービスの評価とは雲泥の差です。



日本の臨床栄養のレベルが上がらない最大の問題、それは管理栄養士の教育にあると思っています。

いま大学など養成校の管理栄養士を養成するカリキュラムで中心になっているものは、がんや心臓病、脳卒中、糖尿病など生活習慣病の人を対象とした食事療法です。心肺停止の人が救急車で運ばれてきたとか、交通事故で全身何十ヵ所も骨折しているとか、大やけどを負っているといった患者さんたちに対する教育は皆無です。一切教わらないまま大学病院などで働いても、そういう状態で食事をしない患者さんに対しての対応はできません。そういう点が、臨床栄養が欧米よりもまだまだ遅れている原因のひとつになっています。


留学時代、私は臓器移植外科に所属し、移植手術を受ける患者さんの術前術後の栄養管理をしていました。臓器移植の手術自体は「日本の先生のほうが上手では」と思うくらい日本のレベルは高いのですが、日本では臓器移植をする患者さんに管理栄養士が関わることはありません。医師がすべてハンドリングします。臨床栄養ではこれほどの差があるのが現実なのです。


外部環境も変わってきています。特に2022年4月に診療報酬が変更になった際、新たに周術期栄養管理実施加算というものが加わりました。これは手術前後の栄養管理をちゃんとすると診療報酬がもらえるというものです。それ以前にも、2000年の診療報酬改定で新設された早期栄養介入管理加算は、管理栄養士が医師と一緒に集中治療室に入っている患者さんの栄養を管理したら診療報酬がもらえるというものもあります。

こうして変化する外部環境を反映させたカリキュラムに変更しないと、これからの時代のニーズに合わないということを一部の養成校では気がついていて、超急性期の患者さんに対しての教育なども始まりつつあるところです。しかし私が今7つの学校で教えていることからもわかるように、これまで教えてこなかった領域のことを教えられる教員自体が不足しているのも課題です。


プロフィール

宮澤 靖

みやざわ・やすし

長野県出身。1987年北里大学保健衛生専門学院栄養科卒業。JA長野厚生連篠ノ井総合病院(現:南長野医療センター篠ノ井総合病院)栄養科入職。93年アメリカジョージア州アトランタのエモリー大学医学部栄養代謝サポートチームに留学し、翌年米国静脈経腸栄養学会認定栄養サポート栄養士(NSD)となる。94年同大クロンフォード・ロングホスピタル栄養サポートレジデントに就任。95年に帰国後、長野市民病院にて全科型NST設立、JA三重鈴鹿中央総合病院にてNSTエグゼクティブディレクターとして日本初の専従スタッフとなる。2002年近森病院臨床栄養部部長、03年同院にてNSTを立ち上げる。19年より現職の東京医科大学病院栄養管理科科長、東京医科大学医学部講師。ほか京都光華女子大学客員教授、一般社団法人日本栄養経営実践協会代表理事、美作大学大学院臨床教授、甲南女子大学・高知学園大学非常勤講師、Emory University Hospital NST特別スタッフ。

医療に関わる仕事で自分に最適だと思った管理栄養士の道に進んだものの、思い描いていた世界とは対極の仕事の現場に幻滅。しかしNSTの存在を知り、もっと学びたいとアメリカへ留学。帰国後は日本でNSTのパイオニアになりました。


管理栄養士の理想と現実

私は幼少時から医療に興味を抱いている子どもでした。幼いながら「大切な命をお預かりする尊い仕事のひとつだ」という思いがあったからでしょう。高校で化学が面白く得意科目になると、化学を生かした医療の道はないかと考えるようになり、薬剤師と管理栄養士という職業が該当すると知りました。薬を扱う薬剤師の場合、もちろん予防薬もありますが、基本的には病気になってからの登場ということになります。一方の管理栄養士は予防的な食事療法があるので病気になりづらい体づくりというところから関われるし、乳児から超高齢者までフィールドも幅広い。さらに薬は非日常的ですが食事は日常的なものですから、より患者さんに寄り添うことができるのではと考え、管理栄養士を目指すことにしました。

 

とはいえ、最初から高い志を持って北里保健衛生学院(現・北里大学保健衛生専門学院)に進学したわけではありません。向学心に火が付いたのは、実際に学び初めて、日頃の食生活次第で健康寿命が延びたりQOLが向上したりするということがわかってからです。しかも栄養次第で治療成績まで変わることも知り、栄養の奥深さにどんどん惹かれていきました。

 

「身につけた知識を臨床の現場で生かしたい」と就職先は病院を選び、卒業後は長野市の総合病院で働き始めました。管理栄養士はチーム医療の一員としての役目を果たせると学んできたこともあってやる気に満ちていたのですが、理想と現実のギャップは大きなものでした。日々の業務は厨房にこもって、ひたすら患者さんに提供する食事を作るだけ。管理栄養士としての知識を臨床で生かしたいという思いとはあまりに異なる現実に戸惑いました。ただ、当時の日本は管理栄養士も栄養士も「食事を作るのが仕事」という文化だったので、私が勤めたところに限らず、国内の病院ではこれが当たり前のことだったのです。

できることを模索する中で知ったNST

当然ながら、次に勤務した病院でも環境は変わりませんでした。むしろ初年度は食事を病室に配膳したり下げたりすること、食器を洗うことだけが私の仕事だったので、調理すらできなくなりました。学生時代にたくさんの知識を与えてくださった先生は医師の方が多かったので臨床をよくご存じで、「患者さんと関わって治療に貢献するという意識が大事」という信念があり、私にもその教えがしっかり根付いていました。それゆえに、その教えと現場でやっていることの格差にはずっと違和感がありました。

 

救いとなったのは、病棟への配膳・下膳の際に患者さんと直接会話できる機会があったことです。日々の業務の不満が知らず知らずのうちに顔に出ていたのか、ある患者さんから「兄ちゃん、どうした?」と声をかけられました。それがきっかけでその方と親しくなり、毎日さまざまな話をするようになりました。

しかしある日、いつものように病室に行ったところ空きベッドになっており、昨夜に病態が急変して亡くなったことを知りました。肩を落として上司にその旨を伝え、患者さんの名前や食事内容などが記載されている食札を渡す上司は「そうなんだ」とさらっと言い、私から受け取った食札をゴミ箱に捨てました。

そのとき心に湧いたのは、「私たち管理栄養士は初めて白衣に袖を通したあの日に『患者さんの命を全力で守る』と誓ったはずではなかったのか。人の死をなんだと思っているんだ」という憤りでした。

 

そこから私も変わりました。現状に不満を抱いているだけでは何も始まらない。自分から動かなければだめだと、担当業務を終えた後に病棟を回り、患者さんが食べられない原因や食べても痩せてしまう理由を毎日探すようになりました。上司からも看護師長からもいやな顔をされましたが、表面的には「すみません」と頭を下げつつ、病棟に通い続けました。

NSTではみな対等な立場で患者の命を守る

管理栄養士としてできることを模索する中で、アメリカの管理栄養士はベッドサイドで患者さんたちの治療に当たっているという情報を知り、それはすごいと驚きました。日本と同じ資格でそんなことをしているのかと。まだインターネットも普及しておらず情報収集も大変でしたが、それでもアメリカではNST(Nutrition Support Team)と呼ばれる栄養サポートチームがあり、そこで医師や看護師、薬剤師、そして栄養士が一緒になって患者さんの命を守るシステムということがわかりました。NSTにおける管理栄養士は栄養の専門家として重要な役割を担っているというのです。

自分のやりたいことはまさにこれだと確信し、すぐにでもNSTを学びたいと思ったのですが、1990年代初めの頃の日本にNSTを導入している病院はどこにもありませんでした。「勉強したいのに勉強できる場所がないなんて」と途方に暮れているとき、外資系製薬会社のMRの方が「どこの病院でもNSTを導入しているアメリカでなら勉強できますよ」と。なんでそんな簡単なことに気づかなかったのか、自分でも不思議です。余談ですが、そのMRの方は今も私のメンターのような役割をしてくれています。

 

早速、アメリカで研修を受け付けてくれている約30の大学病院に依頼の手紙を書いたところ、返事が来たのは2校のみ。いずれも受け入れOKで、研修期間は1校が3ヵ月、もう1校は4ヵ月だったので、「1日でも長くいられる方に行こう」と1993年、アトランタにあるエモリー大学医学部附属病院へ留学することにしました。結果的には留学後にそのまま入職したので、4ヵ月どころか約3年過ごすことになります。

 

現地で学び得たものは多岐にわたります。研修先で所属したのは臓器移植外科で、初日から病棟に出てNSTに加わりました。臓器移植はドナーとレシピエントがマッチングしたらすぐに移植しなければならないため、全症例がほぼ緊急手術です。私の師匠である先生は手術になれば手術室にこもりますから、その間の栄養管理は私が担当することになります。言葉の壁、医療従事者としての知識も不十分という状態でしたから苦労も多く、失態を師匠に叱責され涙を流したこともありました。それでも、日本で「これでいいのか」と思いながら悶々と過ごしている頃に比べたら、やりたかったことができている喜びのほうがはるかに大きい日々でした。

 

アメリカの医療従事者の「自分の身を削ってでも患者さんのために貢献する」「人の命を預かる仕事をしている」という姿勢には圧倒されるものがありました。栄養士も一様に職務に誇りを持っていて、「自分たちの努力や勉強の成果で患者さんの人生が変わる。人の命を預かる仕事をしているのだ」という意識が強いのです。

おのずと栄養士に対して現場で求められる知識や技術のレベルは高くなりますが、それをやりがいとして受け止め、誰もが生き生きと職務に尽力していました。治療の現場でも、医師や看護師などに栄養管理について提言すると「栄養の専門家が言うのだから」と受け入れられます。「医師だからえらい」とか「栄養士だから従わなければいけない」といった縛りなどなく、それぞれの専門領域に敬意があるからこそ成立しているシステムでした。管理栄養士にとってこれほどやりがいのあることはないと感じましたし、NSTを日本でも普及させたいという思いを強くしました。


プロフィール

宮澤 靖

みやざわ・やすし

長野県出身。1987年北里大学保健衛生専門学院栄養科卒業。JA長野厚生連篠ノ井総合病院(現:南長野医療センター篠ノ井総合病院)栄養科入職。93年アメリカジョージア州アトランタのエモリー大学医学部栄養代謝サポートチームに留学し、翌年米国静脈経腸栄養学会認定栄養サポート栄養士(NSD)となる。94年同大クロンフォード・ロングホスピタル栄養サポートレジデントに就任。95年に帰国後、長野市民病院にて全科型NST設立、JA三重鈴鹿中央総合病院にてNSTエグゼクティブディレクターとして日本初の専従スタッフとなる。2002年近森病院臨床栄養部部長、03年同院にてNSTを立ち上げる。19年より現職の東京医科大学病院栄養管理科科長、東京医科大学医学部講師。ほか京都光華女子大学客員教授、一般社団法人日本栄養経営実践協会代表理事、美作大学大学院臨床教授、甲南女子大学・高知学園大学非常勤講師、Emory University Hospital NST特別スタッフ。

 
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