第4回 食品メーカーへの期待と提言
バランスの取れた食事は免疫力を高め、腸内環境も整えます。高齢者の場合、嚥下や咀嚼に配慮した安全で栄養豊富な食事であることはもちろん、見た目も大事な要素です。食品メーカーにはそれらを踏まえた商品開発に患者目線で取り組んでいただくことを望みます。
私が考える健康的な食事
好き嫌いせずに3食きちんと食べること、そして腹八分目。シンプルですがこれがとても重要だと思っています。和食の「一汁三菜」はとても理にかなっていて、生活習慣病の患者さんには一汁三菜を例にお話をすることが多々あります。またシニアの場合、バランスよく食べることを意識するだけでなく免疫力を上げるような栄養素を含んだ食材を日々の食生活に取り入れることも重要なので、私もライフワークとして取り組んでいます。
バランスよく食べることを心がけていても、日によっては偏った食事になってしまうこともあるでしょう。今日はしょっぱいものが食べたい、甘いものが食べたいという日もあるはずです。われわれの職域団体である日本栄養士会などでは「野菜は1日350g取りましょう」とか「1日30品目の食品を取りましょう」と言っていて、確かにそれができれば栄養学的には理想ですが、経済面が考慮されていません。実践したら月の食費が一体いくらになることでしょう。免疫力アップに影響のある腸内細菌は毎日大きく変動するわけではありませんから毎食ごとに神経質になる必要はなく、1週間単位で考えてトータルでバランスがとれていれば大丈夫です。
海外のデータになりますが、同じ食物繊維を2週間取り続けると、便の中の乳酸菌やビフィズス菌の数が減少します。そこで2週間経ったらほかの食物繊維に切り替えると、乳酸菌やビフィズス菌の数は一定になります。つまり、同じ食材を食べ続けても、腸内細菌にいい影響を与えてくれるのは2週間がタイムリミットというわけです。そのため、人それぞれの食べ物の好みや食事の楽しみといったことも考慮すると、私たちは2週間の半分、つまり1週間単位で判断したほうがいいというのがセオリーになっています。
しかし、問題になのは「食べること」以前のことです。
商店が撤退してしまい買い物ができない「買い物難民」の高齢者については、社会問題としてニュースでも取り上げられていますが、今は「高齢の独居男性の調理困難者」も深刻な問題となっています。
現在80代、90代の男性はまさに「男子厨房に入るべからず」の時代を生きてきた方なので、料理は配偶者に任せきりだった方が少なくありません。そういう方の奥様が不幸にも先立たれた場合、ガスコンロの使い方がわからずお湯も沸かせないという状況が、大げさな話ではなく現実としてあります。スマホで手軽に注文してデリバリーしてもらえる時代ではありますが、ガスコンロも炊飯器も電子レンジも使えない、ましてや自炊など未知の領域すぎる方の食生活は、かなりの制約・制限に見舞われることでしょう。かといって料理ができる方も、それはそれで火を使うことのリスクが生じ、やけどや火事などのアクシデントが心配されます。
そうなると、これからは今以上に高齢者でもおいしく安全に、温かいものは温かい状態で食べられるパッケージの商品などが求められることが想定されます。食品メーカーさんがこれからシニア向けの商品開発をされる際には、安全・安心な加温システムのパッケージを望みます。また、現在はアプリから注文するデリバリーも、この先は受話器を取ったらデリバリーの会社にダイレクトにつながるような、そういうシステムがあってもいいのではと思います。
今、「これを食べるだけで1日に必要なすべての栄養素が取れますよ」とうたった商品がドラッグストアでも手軽に買えますが、管理栄養士の立場からすれば、あのような商品には正直なところ困っています。栄養学的な観点から、そんな食品は存在しません。よくテレビの情報番組で「●●が体にいい」と特集されると、その商品が飛ぶように売れる現象がありますが、それと同じようなことです。極端なことを言うほど世間は注目するので、「これだけで」という声は拾われがちです。
しかし現実には、偏った食生活ほど健康へのリスクはむしろ高まってしまいます。やはり好き嫌いなく、バランスよくいろいろ食べるというのがいちばん大切だと思います。なぜ人間は草食動物でも肉食動物でもなく雑食性なのか。これは太古の歴史へ遡り、いろいろなものを食べて今の人類に繋がってきているということだと思っています。ですから100年先にはそういった完璧な食品が世に出ているかもしれませんが、今の段階では皆無です。
商品開発をする食品会社に間違って欲しくないこと
食品会社にさらにリクエストを加えるなら、当然免疫力を上げるような食材を取り入れてほしいですし、さらに高齢者は噛む力が弱まっているので嚥下に対応できるような商品開発に力を入れていただきたいです。
私が東京医科大で働き始めた当時、脳卒中の後遺症などで飲み込むことがうまくできない嚥下障害の患者さんたちには嚥下障害食を出していました。これはミキサー食といい、普通の食事をミキサーにかけてドロドロの状態にし、少しとろみをつけたものです。今でもそういう食事を提供する施設は多いですが、患者さん目線からすれば「このドロドロのもの、一体なに?」となるでしょう。
そこで現職に着任して私が最初にしたことは、スタッフたち全員に目を閉じた状態で嚥下障害食を食べさせることでした。口の中になにが入っているかわからないというのは、人にとって大変な恐怖であることを体感してもらったのです。みんなつい作業効率を優先してしまい、患者さんの恐怖や違和感にまで気持ちが行き渡らない。しかし管理栄養士こそ、ここを理解していなければいけません。
短時間で効率よく必要な栄養素を取ってほしいからと、ミキサーでいっしょくたにしてしまう。そしてその食事を提供する看護師さんは、患者さんに向かって「今日のご飯はなんだろうね?」と言う。原型をとどめていないわけのわからない流動食には、メニュー名もつけようがありません。これは本当にやってはいけないことだと思います。
ですから食品メーカーさんに強くお願いしたいのでは、患者さん目線で、なにが原状だったのかわかるような商品開発をしてほしいということです。例えば現在の東京医科大では、魚をミンチにしてお出しするときは魚の形に再形成しています。トマトだったらトマトらしい円形にするなど、なにが材料になっているのかがわかるようなビジュアルにして患者さんのところへお届けしています。機能はもちろん追求していただきたいですが、日本の食文化を享受して育ったわれわれには「見た目」もきわめて重要なので、そこも踏まえた商品開発をぜひお願いしたいと思います。
咀嚼、嚥下困難にならないための食事
嚥下障害予防になる食事もあります。例えばスルメイカ。簡単に噛み切れないので何度も咀嚼することで、咀嚼筋という噛む力を司っている筋肉、さらにその筋肉を動かしている約30ある神経をトレーニングしていることになります。ほか、うるめいわしやししゃもなど、先人たちがよく食べていたものは、実は知らず知らずのうちに噛む力や飲み込む力の衰えを遅らしていたということが最近わかってきました。
高齢者の方には生活習慣病の予防にもなるし咀嚼嚥下の予防にもなる食事ということで、「昭和30年代の日本の食卓に並んだ食事が実はいちばん長寿で、病気にならない食生活なんですよ」と話しています。そうすると「ああ、あの頃の食事か」とイメージしやすいようです。
今後、食品メーカーさんなどが咀嚼、嚥下のトレーニングという視点で市場に参入するのは、管理栄養士としては大歓迎です。ずっと咀嚼していると唾液の分泌も促進されます。唾液には抗菌作用があるので自然と口腔ケアもでき、誤嚥性肺炎の予防になるなど、プラスアルファの効果も期待できます。ですから、そのような商品開発は高齢者にとってもわれわれにとってもありがたいものになると思います。
プロフィール
宮澤 靖
みやざわ・やすし
長野県出身。1987年北里大学保健衛生専門学院栄養科卒業。JA長野厚生連篠ノ井総合病院(現:南長野医療センター篠ノ井総合病院)栄養科入職。93年アメリカジョージア州アトランタのエモリー大学医学部栄養代謝サポートチームに留学し、翌年米国静脈経腸栄養学会認定栄養サポート栄養士(NSD)となる。94年同大クロンフォード・ロングホスピタル栄養サポートレジデントに就任。95年に帰国後、長野市民病院にて全科型NST設立、JA三重鈴鹿中央総合病院にてNSTエグゼクティブディレクターとして日本初の専従スタッフとなる。2002年近森病院臨床栄養部部長、03年同院にてNSTを立ち上げる。19年より現職の東京医科大学病院栄養管理科科長、東京医科大学医学部講師。ほか京都光華女子大学客員教授、一般社団法人日本栄養経営実践協会代表理事、美作大学大学院臨床教授、甲南女子大学・高知学園大学非常勤講師、Emory University Hospital NST特別スタッフ。